私の身を守っていた最後の衣服が脱げ落ち、私はタオルを掴んで風呂場に入った。それを扉にかけてパタンと閉める。そして湯船の蓋をがらりと開けた。
瞬間、もうもうたる湯気が噴出して私を圧倒・・・というよりこれはもはや蒸気だ。危なく顔面大やけどを負うところだった。落ち着いた所で中を覗くと、そこにあるのは癒しの湯ではなく、激しく沸騰する熱湯であった。
その殺人的な液体は、きっと給湯器の故障によるものだろう。然しこれは困った。衣服がないから寒くてたまらないのに、湯船に浸かれない。ここは静観するしかないと見て湯船の中をなおも覗いているうちにわかったことだが、どんどん熱湯はかさを増してきている。そのうち溢れるだろう。そうすると私は足にやけどを負うわけだ。だから私はとりあえずバスチェアの上に避難した。
果たして熱湯は湯船を乗り越え、みるみるうちに床を満たした。このままだとこの孤島も没すること必至である。だが私は死中に活をみいだした。熱湯を噴出しているその湯船、その上にある蓋の上に乗れば、私は煮えたぎる熱湯を真下にしながら、あわよくば昼寝をすることも可能なのである。
椅子と湯船とは60cm、片足踏み出せば届く距離だが、なにぶん湯船からは絶えず熱湯が吹き出ているからちと怖い。私は滑らないよう慎重に蓋の上に乗り移った。
蓋の上ではずんずんと突き上げてくる衝撃が私を刺激した。故障とはいえ侮れない。溢れた熱湯はもう湯船とかさを一致させ、私の乗った蓋はゆらゆらと風呂場の中を徘徊するのであった。その間、私は蓋の上に寝そべりつつ(座ると重心がおかしくなって転覆するから)、今か今かとチャンスをうかがっていた。
ついにチャンスが訪れた。風呂場の入り口に手をかけることに成功したのである。もしもうすこしおそかったなら、天井と水面のわずかな隙間でもがく他無くなってしまう。だが私は扉をこじ開け、奔流とともに洗面所へ流れ込んだ。
洗面所は風呂場以上に狭かった。私は何も身につけていなかったから、かけてあったバスタオルをローマの貴族のように体に結びつけた。もうもうたる湯気の中で、私はその姿を見るために洗面台に乗り移って懸命に鏡を拭き、入念にセットした。これは大変手間がかかった。バスタオルを体に巻くのが初めてな上に、鏡は拭くそばから曇っていく。
そうこうするうちに沸き立つ潮は旅立ちを迫った。洗面台の高さに水位が達したのである。やや状況把握に慣れてきた私は即座に蓋に戻り、洗面所のドアを開けた。
勢いそのままに、トイレのドアを過ぎ、私の居心地のいいリビングを通り抜けた。床には去年買ったカーペットが敷かれ、リモコンが散らばっているけれど、この灼熱の液体に触れればたちまち駄目になってしまうだろう。そして私はわかっていながら、助けること叶わないのだ。
私は流れながら、唯一TVのリモコンだけは救出した。早速つけてみるとニュース番組で、リコールがどうのこうの言っている。私は経済に興味がないので波に流されつつもチャンネルをまわした。今度は旅行モノの番組で、松茸を食べている。私も今流離の身だが、まつたけは食べられないであろう。その間もとめどもなく熱湯が私を押しやって、旅を押し付け、私も要求を呑むほかなく、次々とドアを開けて廊下から玄関、そして屋外へと流れ出した。リモコンは水没しないであろう棚の上に置いた。
道行く人の目にはどう映っただろう。湯船の蓋といういかだに乗るローマの貴族。犬を連れたおじいさんが足を止めて私を見ている。犬は少し怯え気味である。私はそ知らぬふりをして寝返りをうち、桜の木を見上げながら漂っていく。恥も外聞もない。
大通りを横断した。通りの手前側は美しい家々が並んでいたが、向こう側には無骨な工場がそびえている。私はいい加減、自分の下を流れているのがもはや熱湯ではないことに気づいていた。でもせっかくここまで来たのだからいくところまでいってやれ。そんな風に思っていたら、どうやら目的地に着いたようである。巨大プラントの正門に漂着したまま、動かなくなった。私は立ち上がり、ぴちゃぴちゃと音を立てて施設へと入った。もう湯がなくても私は先へ進める。
工場は騒音こそ激しいが整然としていた。せっかくなので生産ラインを見学しようと思ったら見咎められた。ローマの貴族が工場に来たのだから当然といえば当然か。私はずばり何を作る工場なのか聞いた。驚きの答えであった。
「給湯機を作る工場だよ」
なんと愚かしいことだろう。私の給湯機よ、故障を直して欲しいならおまえ自身が来なければ意味が無い。それとも彼は、自分の身代わりを持ってくるようにという悲観的な考えでいたのであろうか。