駅からおりると、すぐ線路沿いの畑になる。一応駅裏だから、美容院と喫茶店、コンビニはある。だが振り向けば、土と草木が広がっている。
横浜はこういうところだ。緑区保土ヶ谷区などの土臭さは、決してsuburbを、ましてやcityを思わせない。私は家に帰るべく、線路の横を歩いていく。この道は延々500mは続いていて、その間ずっと畑と線路に挟まれたままだ。突き当りから線路をくぐると家への近道である。
太陽は真上からぎらぎらと照りつけていた。アスファルトには逃げ水が出来ている。逃げ水は暑さの視覚的な具象である。私はただ前方の水を追いかけた。追いつかない事はしっているけれども。水の有無を知るため目を凝らそうとすると、返ってピントが合わなくなってくる。全体にぼやけた画面が、ゆらゆらとゆれている。これは陽炎である。
解像度の極端に低い視界の中に、それでも私は人影を見出した。畑と線路に挟まれたこの道を、ずうっとたどった所に居た。人影は揺れ動き、不定形だが、それでも私はそれをrecognizeした。それは私が久しく捜し求めていた、その彼女であった。
私はかねて見る事の出来ずに居た彼女の姿をよくよく見るために、じっと見つめたが、彼女は他の風景と渾然一体となってゆらめくばかりである。彼女との距離は遠かった。そして間に、暑苦しい畑のにおい、あのどうしようもないにおいが立ち込めていた。私は歩みを速くすることはできなかった。
実際、日光は遂に私を征服しようとしていた。うだるような熱気が、頭の真上から降り注ぎ、足元のアスファルトから吹き上がっていた。私は太陽に目をやってから、再び前方を眺めた。道のはては依然遠く、彼女はゴマ粒のようにちっぽけであった。
このまま歩ききることは無理に思えた。私はもともと体力がなかった。私は引き返して駅の方に戻ることもままならないのだ。丁度半分の所に来ていたから。
私は未だによく視認できない彼女が、何か飲み物でも持っていて、会えれば助かると信じた。もう暑さで頭がぼんやりしてきたのかもしれない。
私は救世主たるべき彼女に、おぅーいと声をあげた。私のほうから歩いて彼女の場所までたどり着くのは無理そうなので、彼女の方から歩いてきてくれないと困る。しかし声は大地と空に吸い込まれてしまった。畑のキャベツは、伝言ゲームをしてくれそうになかった。彼女の影は大きくなってくるどころか、より小さく、よりぼんやりとした状態に変化したように思えた。
私はだらだらと歩きながら、何度か声をあげた。歩いているように感じるが距離が縮む感じは全くない。声は蜉蝣となってはかなく飛び去っていくばかりである。
画面全体がこうゆらゆら揺れている事態を考える上で、自分の周りが揺れていると考えるより、自分がゆれていると考えた方が合理的な気がしてきた。天動説に対する地動説である。本当は何一つ揺れておらず、私だけが暑さに参って揺れているのだろう。つまるところ彼女は一切揺れては居ないのだ。私の中で作られた彼女の像が揺れているに過ぎないのだ。私の中の像をあてはめられてしまう本物の彼女にとってはいい迷惑だ。
私にとってこの暑さと陽炎は一体どういう意味があるというのだろう。何もいい事はないではないか。私は暑さを克服して当然のはずなのだ。だが実際はへこたれている。一人ではもはや先には進めなくなっている。これがありのままの現実であった。全てのことが私にとって意味を為さない様に出来ていた。でもこの時の私は希望を捨てきれずに居たのだと、今になって思う。意味あれと私は念じていた。
状況は益々簡明になりつつあった。私は畑の縁に座った。視点が下に落ちると、思わぬものも見えてくる。私はかすかにそれを楽しみながら時間を過ごした。時々彼女の方を見たが何も良い変化はなかった。
陽炎は益々ひどくなって、すぐ近くのキャベツまで揺れて見え出した。私は最後に全てが本当はうまくいっているというありえない期待に心よせて、もう一度彼女に声をかけた。その次の瞬間異変が起こり、私は私自身を見た。ちょっとしたブランドのシャツを着た自分。それもゆらゆらと揺れる、切れ切れのぼんやりした陽炎となっていた。私はこの状況を当然に思った。そして私は自分が無数の点として発散していくのを感じた。こうなればもはや家も彼女も畑も線路もアスファルトもキャベツさえ、絶対に関係がない。駅から発車してきた列車が通り過ぎる時だけ、憧憬を感じた。しかし直後には私は完全なる陽炎として虚空に分解していった。